三越 劇場と戦後の文化復興


戦前までの三越 劇場は高級な社交場としての色合いが強かったが、1946年、昭和21年、11月22日、終戦から1年余りで再開した三越 劇場は、戦後文化国家建設を旗に掲げた。三越 劇場に限らず大儀名分は大事である。
1946年、昭和21年には、中村吉右衛門一座よる歌舞伎を上演、続いて歌舞伎復興を目指し、故歌右衛門、故勘三郎、故白鸚らが、1946から1950年の間に30本もの上演を、三越 劇場でした。

1949年 昭和24年からは、三和会による文楽、1951年 昭和26年頃から、俳優座、文学座、劇団民藝によって新劇も続々と上演された。

「三越名人会」「三越落語会」「三越邦楽会」なども立ちあがり、荒廃した日本で、演技、大衆娯楽の復興に、三越 劇場は貢献し、その役割を果たしてきた。

三越劇場で上梓、上演されるものに対して、演劇、舞台芸術としての好き嫌いは、正直ある。しかし、戦後の日本で、名分=身分に応じてまもるべき本分を、三越 劇場が果たした事実は変わらない。

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